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株式会社オレンジライフ代表取締役社長兼CEO上野山栄作のエッセー多事想論

2025/7 オレンジ通信 第193号うちの猫が死んじゃった

娘たちが幼い頃、1匹の子猫が迷い込んできました。と、ほぼ同時に変な物を食って瀕死の状況に。病院に連れて行くと「この薬を飲ませれば、助かるかも?でも今ここには無いんですよ」と言われて薬局を探し回り、やっと見つけて飲ませると徐々に回復したのです。
23年前の地元の花火のことで鮮明に覚えています。それから四半世紀近く、よく長生きしたと思います。3年前に亡くなった父も溺愛していた「ミーコちゃん」でした。

それからのミーコに対する両親の育て方は超過保護となりました。家の外に出す時も野良猫が来ていじめられないか?(実際にあったのですが)と家の周りを異常に気にしたり、食べるものも、ありとあらゆるキャットフードを用意して与えてみたり、猫可愛がりという言葉がドンピシャでした。しかし、反面、私には(両親以外)なつかない奴でした。多分、ミーコにとって私は自分と同じ立場だと見られていたのでしょう(兄妹)笑。

私の幼少の頃も猫を飼っていました。両親が忙しかったあの頃の私の遊び相手は猫だったようです。あの頃は本当に放し飼いでした。食べ物も残飯が多く、ご飯に魚の煮物の残りをぶっかけた猫飯をうまそうにガッつく猫を覚えています。
あのころは猫が死ぬのも日常でしたし、帰ってこない猫も多かったです。畑に穴を掘って埋めた記憶が数匹あります。

ミーコは最後の最後まで、母のそばを離れることなく逝きました。父の死後は母と二人三脚の生活を送っていました。母のことを見守っていてくれた猫でした。ここ数年はだんだんと弱って行く姿を見ていましたが、調子が悪い時には病院に連れて行き、噛む力が弱っても柔らかいキャットフードを与え、緩やかに、緩やかに弱り、表に置いていたトイレも徐々に家の中になり、最後の方は漏らしまくり(ホンマ大変!)最期は歩けなくなり点滴を打ってもらい、声が出なくなり、息をするだけになり、という具合に最期の最期まで死を諦めさせるような亡くなり方でした。
あれでは母も納得せざるを得ないでしょう。

葬儀屋ですので、猫ちゃん用の棺に小さなドライアイスを入れて、お花やキャットフードを入れてやり、皆で経を読んであげました。翌日の朝、有田聖苑へ連れて行きました。県下でも動物のお骨も拾ってくれるありがたい火葬場です。今は親父の遺影の隣に元気なミーコの遺影が飾られています。親父のところに慌てて行かず、虹の橋で母を待っていてくれたらと思います。
しかし、ミーコの亡くなり方をみて時代の違いを感じました。比べてはいけないが、人様の亡くなり方と重なり、逝き方の時代を垣間見たような気がします。葬儀も変わって行くはずですね。ミーコちゃん安らかにね!